浦和・尾間木サッカースポーツ少年団は埼玉県さいたま市(旧浦和)尾間木小・向小をホームとする少年・少女サッカークラブです!

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浦和少年サッカーの紹介

  最終更新:2006年 4月 1日
浦和市スポーツ少年団・30周年記念誌「輝くひとみ 光る汗」H9.3.9発行より抜粋。一部修正。

浦和市スポーツ少年団(現・さいたま市浦和スポーツ少年団)
−本部の沿革

   浦和市スポーツ少年団(現・さいたま市浦和スポーツ少年団)は、埼玉県で開催された第22回国民体育大会の年、昭和42年3月4日にそれまで各小学校で活動していた少年サッカーチームを母体に、6団(三室、北浦和、針ヶ谷、本太、大久保、別所)のサッカー少年団が結成されたのに始まる。
   当時は国体の影響もあり、地域住民の間にスポーツに関する関心も高く、少年たちにもスポーツ熱が高まっている時期でもあった。
   少年団結成式は北浦和小学校校庭で行われ、県教育局体育科の井田万三郎先生より各チームに団旗が授与され、ここに浦和スポーツ少年団が誕生した。
   
   こうしてスタートした市本部も、はじめはサッカーのみの活動であったが、42年秋には乗馬少年団、44年にはソフトボール、軟式テニス、ミニバスケットボールがそれぞれ少年団を結成加盟し、徐々にではあるが種目も増加してきた。
   この頃からスポーツ少年団活動が各地域に浸透し、父兄をはじめとする関係者の間に、学校教育外の活動としてスポーツ少年団が認識され、これらの方々の努力によって、少年団結成の動きが急速に高まってきた。
   そして、昭和49年には人気スポーツである野球が6団結成され加盟を見た。
   その後 50年にバレーボール少年団、52年に準硬式野球少年団が結成され、7種目68団、団員2850名、指導者235名を有する団体に成長してきたのである。

   こうして発展してきた市本部が直面したのが、昭和51年に日本本部から打ち出された「緊急3ヶ年計画による有料登録制度」である。
   この計画は新しい登録制度により、団員・指導者の登録を有料とし、メンバーシップ制を確立するとともに、財政の自立をはかり、あわせて代議員制を導入し、それぞれの本部組織を整備して、全国のスポーツ少年団を自立した組織として確立させることが目的であり、この新しい制度のもとに全国組織を作っておく作業を3ヶ年計画で推進していくということである。

   初年度の昭和51年には各市町村本部、2年目の52年には各都道府県本部、3年目の53年度には日本本部へそれぞれ有料登録を実施し、財政と組織の整備をはかろうとするものであった。

  1. 自分たちの町は 自分たちで作る。
  2. 自分たちの子供は 自分たちで育てる。
  3. 自分たちのスポーツは 自分たちで楽しむ。

   これはスポーツ少年団経営の3原則であるが、新制度導入にあたって考えさせられたわけである。
   市本部においても、この制度を導入すべきかどうかの選択をせまられたのであったが、初年度においては見合わせ、2年目の昭和52年度よりこの制度を導入することになったのである。
   この有料制度導入を契機として、本部の組織整備・確立をはかり、スポーツ少年団がさらに発展するように再スタートした。
   そして、昭和52年5月19日に行われた総会に市本部規約が提案され承認を受け、続いて7月13日に行われた本部委員会において本部長・副本部長・常任委員の選出がなされ、実質的な浦和市スポーツ少年団本部のスタートとなったのである。

   その後、毎年各種目ごとに着実な歩みをつづけ昭和54年に剣道、55年に空手道が少年団として市本部に登録、さらに59年に柔道、60年にラグビー、20年目の61年になぎなた、一輪車、陸上、平成4年には相撲少年団が結成された。
   こうして、浦和市スポーツ少年団発足から30年目の平成8年度現在、実に11種目110団体(120チーム)、団員5,258名、指導者982名の埼玉県一の登録を有するスポーツ少年団本部に発展することが出来た。
   市本部発展の陰には、初代本部長 相川曹司氏、教育長時代より副本部長・54年より2代目本部長に就任した中川健吉氏、平成5年度より3代目本部長に就任した相川宗一 浦和市長(現さいたま市長)をはじめ、副本部長としてお力添えをいただいた小松崎兵馬元教育長、田原}元教育長、浅見匡前教育長等のスポーツ少年団に寄せる愛情と、本部設置以来事務局を担当してきた歴代体育課長(昭和55年まで保健体育課)をはじめ、各団の団長、指導者各位のなみなみならぬ努力を忘れてはならない。

   市本部では設立当初より種目ごとに大会を開催し各団の成長をはかってきたが、昭和55年度より全種目の団員を一堂に会し、日頃交流のない他種目の団員との親睦をはかることを目的に、スポーツ少年団フェスティバルを開催している。
   また、昭和57年度より浦和市の国際交流事業推進の一環として、団員並びに指導者を、メキシコ・トルーカ市、中国・鄭州市、ニュージーランド・ハミルトン市の友好姉妹都市に派遣してきたが、平成6年度からは新たにアメリカ・リッチモンド市が加わり、これら海外4都市海外での貴重な体験を通して、国際社会に対する理解と関心を深め、国際親善に大きな成果をあげている。

   今後、各指導者が成長期にある子供の特徴を理解し、次代を担う少年たちが明るく、心豊かな立派な社会人として成長することを願っている。

浦和市スポーツ少年団・30周年記念誌「輝くひとみ 光る汗」H9.3.9発行より抜粋・一部修正。

さいたま市浦和サッカー少年団指導者協議会(旧・浦和サッカー少年団指導者協議会)
−沿革

   戦後の混乱した時代が、ようやく落ち着きを取り戻した昭和30年代になって、浦和のサッカーが全盛時代に入った。
   当時県大会の大半は浦和高校のグランドを会場にして行われていた。その頃、大会や練習試合の度に集まってくる周辺の子供たちが大勢いた。
   昭和35年に日本サッカー協会がコーチとして招いたデッドマール・クラマー氏を、埼玉県サッカー協会が招請し、高校生と少年が指導を受けたことは、まことに意義深いものがあった。
   昭和42年の第22回埼玉国体を契機に、浦和市内の小学校にサッカースポーツ少年団の発足が始まったのである。
   今日のサッカーの隆盛を見るとき、当時6団体で始まったサッカー少年団が、わずか20年間の間に37団体(現在36団体)に成長したことは、サッカーというスポーツが、いかに少年たちに愛され、地域に根付いてきたかを示すものである。
   浦和市のサッカー少年団は、ひとつの小学校に一団が原則であり、現在いくつかの団が2〜3の小学校の児童を対象にしているのを除けば、すべての小学校にサッカー少年団が結成されたのである。

   昭和42年の春休みに、第1回春の大会が駒場サッカー場で開催され、昭和50年の第9回大会まで継続、昭和51年度より浦和市教育長杯争奪サッカー少年団大会と名称を変更し、以来平成13年度に第35回大会にいたっている。
   なお、昭和59年度・第9回大会より、浦和ロータリークラブの30周年記念事業として、本大会に優勝旗が寄贈され、浦和ロータリークラブが後援に加わったのである。
   昭和43年8月の夏休みに第1回夏の大会も開催され、昭和50年の第8回大会まで継続、昭和51年度より浦和市サッカー少年団大会と名称変更し、以来平成13年度・第34回大会に至っている。(現在は冬に行っている) なお、昭和60年度・第10回大会より浦和ライオンズクラブが本大会に本大会に優勝旗を寄贈され、後援に加わったのである。

   昭和49年の12月に各チームの代表者による会議が開催され、今までの教育委員会主導体制から指導者協議会主導体制への変更が決定する。
   会長に竹野颯氏を、副会長に松倉千作氏と吉田努氏の両名を指名して、ここに浦和市サッカー少年団指導者協議会が発足したのである。

   昭和50年4月に規約を制定、大会の変更は昭和51年度からとすることが決定し、自主運営の第1歩が始まったのである。

   永年にわたり浦和サッカー少年団の基礎を築いた竹野颯氏が一身上の都合により会長を辞任し、小山保氏が第2代会長に就任、総務・競技・審判・技術の各専門委員会を発足させ、組織の充実を図りました。
   平成13年5月1日に浦和市・大宮市・与野市が合併をし、さいたま市となりました。我々の組織も「さいたま市浦和サッカー指導者協議会」と名称を変更いたしました。発足当時から浦和サッカー発展のためご尽力つくし現在の浦和サッカー少年団指導者協議会の組織運営を確立した、2代目会長小山保氏の勇退により、町田章司氏が3代目会長に就任しました。
   平成17年4月岩槻市がさいたま市に合併し、さいたま市内総チーム数は68チームとなりました。
   浦和サッカー少年団指導者協議会は、単位団における平素の活動の充実に重点を置き、サッカー活動の素晴らしさを、ひとりでも多くの子どもたちに伝え、底辺の拡大を図るとともに、選手個々の能力を伸ばしていくために、指導者間の理解と協調を求めて、大会の企画・立案・運営、さらに、近県招待フェスティバルの開催やFC浦和の育成、トレーニングセンターの開設、海外交流事業の推進等に尽力してきたのである。
   我々指導者は浦和地区内外各団との交流を通して親睦をはかり、併せて指導技術の向上を図っております。
   指導者の資質の向上は、浦和はもとより埼玉、しいては日本の少年サッカーの、レベルアップにつながる事と確信しております。
   今後、指導者協議会わ力を合わせて、選手の育成・発掘に全力で取り組まなければいけないと考えています。

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